どこでもゆける
名前と顔は初めて公表されたんだったか、なんか変な感じ。 世論がどういう方向を向いていたのかなんて全然知らないけど、大きくて目立ちやすい声は結構聞こえてた気がする。もちろんそれは一貫したトーンを保ってではなく時々思い出したように噴出するアレであって、まるで日々のストレスを吐き出しているみたいに幾重もの"憂さ"が感じられた。というか今でもありますか。 とりあえず事の是非をあれこれ言う気はないし、第一、僕も声の大きな人たちと同じように日和見だし自分の事で手を焼いてるし。なんも言う事はないよね。 差し当たって報道自体は中立的というか淡々と事実を伝えてるだけみたいだけど、スタジオでは脂を浮かせたあの人やあの人が、もはやつばを飛ばす必要もなくなり落ち着き払った口調で総括に取りかかるのでしょうか。ずいぶん早い気がするけど。 事件自体に着目することをひとつの目線だとすれば、もう一つ気にかかるのはそれに対する人々の反応の仕方。 なんでだろう、みんなとびっきり情が深くて他人に共感する力があるような発言ばっかりなんだけど。 どうしてあなた方は自分自身のことも感覚できないくせにそこまで感覚が届くの?どうしてあなた方は自分自身と交歓できないくせに他人に簡単に共感できるの?どうしてあなた方は吐き捨てたような発言に自信が持てるの?どうしてあなた方はそこまで簡単に断言することができるの?どうして…… あなた方の想像力は「加害者」にまでは及ばないのでしょうか?及んだって正当化できるものではないけど。 僕らが何か発言するとすれば、それにはまず日々の暮らしに歓びを感じてからするべきです。不満というのは、僕らの直面する面倒から生じるのじゃくなくて僕ら自身の状態から出てくる。もちろんどんな人にも厄介な事は降りかかるけれど、日々をきちんと楽しんで生きる人は目の前の厄介をどう切り崩すか (あるいは放っておくか、待機か)という主体的な思考の巡らせ方をしていて、難題があること自体に(否応なく)心を砕いているわけではない。 まぁ、いいや。そんなセミナー的講釈は。 少なくともいえるのは、あんたらなんかの想像力は大きく...