Tumble.com

  「あなたはどんな人になりたいか」なんて聞かれたら、まずは大きく顔を歪め、あるいは不意打ちに狼狽したふりをして、内心その質問の裏にある意図に辟易するに違いないよ。間違いないね。
  だってそんなことを聞く人間は、こっちの答えなんかお構いなしに自己啓発的な説法を始めるものだし、その据わった瞳は僕がクタクタになってもそれと気づけやしないし。終いには、(たとえ到達しても報われない)自分の夢を語り始めるんだ、きっとネ。興味ないって、僕の貧乏ゆすりが語ってる。頼むから僕を放って置いて。

  なんてアメリカ文学みたいな文章を書きたいわけじゃなくて、「どんな人間になりたいか」の回答だってある、という事。
  社会では本来どんな人間が求められているのか。これはもう強く強調したいのだけど、力があるとか優秀だとか役に立つとかは二の次。本当に。というか、大抵の人は望んだって優秀になれやしないし、なれても大概邪魔なだけ。

  きっと本当に必要な人は「その人の周りがなんとなくうまく巡っている」という人で、要するにあげまん、あげちんである。ちょっと宗教的な言い方をすれば、「周囲に善きものをもたらす人間」とかそんなん。別に大げさなことじゃなくて、「その人が入社してから上司が寛容になった」とかそういうことでも全然構わない。
  確かにその人が原因かなんて特定できやしないだろうし、組織を発展させるアクションを起こしたわけでもない。だけどもむしろ、そういう瑣末で目につきにくい影響の方が大事よね、と。

  そういう人のあり方は、「先天性」とか「雰囲気」とか「オーラ」とかで片付けられることが多いけれど、必ずしもそうとは言い切れないはずだと思う。「その人がその場にいる事によって周囲にどう影響を与えるか」というのは、その人と世界の関わり方を如実に反映するはずで、普通の感覚でも、抑鬱状態の人の周辺ではいろんな歪みや滞りが発生するとおもうでしょうよ。

  そういうのはなにも病状を示している人に限った話ではなく、全ての人がそれぞれ個々の「状態」(例えば眠りは深いか、動くのは楽しいかとか)を生きているわけで、つまり支障なく日常生活を営む人であっても一人一人は異なった世界との向き合い方をしている、ハズ。
それは「存在の仕方」とか、厳めしいけど分かりやすく表現すればそういう事になるでしょうかネ。で、その「存在の仕方」は絶えず周囲と反応してあらゆる事象に関わる事になる。「あの人の周りでは不思議と良い事が…」なんていうのは、「あの人だから」じゃなくて「あの人のように存在するから」だって言ってみたいよ。言ってみたい。

  僕は僕だしあなたはあなただしあの人はあの人だけど、自分の存在の仕方はいつだって揺れている。自分のあり方が不変だと思ってんじゃねーぞ、ギャースギャース。
  そしてこれが大事だけど、しずかに世界と関われる人は「自分自身に良い事が起こる」というよりも「周囲に善きことを引き起こせる」。どうしてかわからないけれど。でもそっちの方が嬉しいと思う。宝くじが当たるよりも親しい人が喜んでくれる方が。
あー宝くじ当たりたい…。

  細野さんLOVE。あなたの音が大好き。

  あ、忘れてた。だからぼくは「自分の周りに善きものもたらす人になりたい」って答えるよ。きっと質問者も「いい答えだ」ってニコニコしながら自分の夢を語り始めるね、きっと。もうグッタリだよ…。

  ちえちゃんLOVE。元気で。

コメント