右も左も教えてくれない


YMOの「Wild Ambitions」ですね。歌詞は例によって細野さん。日本語。和訳。たぶんこういうこと以外できそうにないので、精一杯の努力をしてるわけです(えらい)。

この歌詞を訳すこと自体は中学生でもできそうなものですが、解釈や表現の仕方で全然違った出来上がりになりそうです。というわけで、ずいぶん勝手で強引な、いつも通りの自己満足ですよ。

YMO期の魅力的な点のひとつとして、細野さんが「こういう詞」をちらほら書いたりするということが挙げられます。あくまで個人的な意見ですけど。
この後しばらくして細野さんはアンビエントの海に飛び込んでいくことになりますが、その助走としての苦悩というか、自分の音楽が向かう先を模索して手探りを続ける様子、またその有様を反映した精神の状況、自分の中に、あるいは別のどこかに深く沈潜していく心理、そんなこんなが垣間見えるような気がします。

こういった人たちを見ていると、「苦悩」というのは「生きるのが嫌になる」とかそういうことではなく、もっと先へ進むための、自分のポジションを押し動かすための「溜め」なんだと思えてきますね。そういう意味では、アスリートとか芸術家の苦悩って健全なものである場合が多い。北島康介の苦悩とか。
まぁ、どうやっても全然生きることが嫌にならないわたしの言うことじゃない。

えーと、もとの英詞は他のとこで。
すぐに分かると思いますが、何かを追い求める求道者とその目指す境地、あるいはその場所に到達した先人。そんなイメージですよね。細野さんがどちら側なのか、あるいはその両方なのか、そこら辺はどうなんでしょう。
僕もきっと荒野を駆けているんだ。さしあたっては横浜に行きたいです。
前置き長いですね。

あ!あーっ。JASRAC?大丈夫。消す(予定)。

a
あなたの場所へと向かっているところです
荒野を駆け抜けているのです

あなたは右も左も教えてくれないから
わたしは荒野を駆けているのです

だからわたしの名前を呼んでください
どうか名前を呼んでください
わたしは荒野を駆け抜けています

b
あなたの元へ向かっています
この荒地を駆けてゆきます

あなたは右も左もわからないから
わたしはこの荒地を駆けてゆきます

だからわたしの名前を呼んでください
どうか名前を呼んでください
わたしはこの荒地を駆けてゆきます





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