だから恐れず一緒に生きていこうね、悪夢ちゃん! もしくは人々を癒す宇宙人について


ちょっと前に話題になりましたが、(自称)社会学者・古市憲寿の本に『絶望の国の幸福な若者たち』っつーのがあります。ご存じの方もおられるのでは。ぼくは読んでいないので中身について詳しくは分からないのですが、本人の弁によると「将来に希望は(まるで)ないけれど、自分を取り巻く現状にはある程度満足し、まったり(まるで宮台)と生きている。それでいいじゃん」という心境にたどり着いた若者たちの分析がなされているらしいです。というか、「今の若者たち」を分析した結果「まったりとした幸福に安住する現代の若者たち」という主題を導くに至ったわけですね。

タイトルの「だから恐れず一緒に生きていこうね、悪夢ちゃん!」というセリフ。もしかして聞いたことある人がいるかもしれない。この一つ前のセリフは「どんなに悪い現実の中でも、人はいい夢をみることができる」です。つまり、「どんなに悪い現実の中でも、人はいい夢をみることができる。だから恐れず一緒に生きていこうね、悪夢ちゃん!」という流れになってます。

「悪夢ちゃん」というドラマは世間一般では大して話題とならず、視聴率をみてもお世辞にもヒットしたとは言えない代物だったようです。ちなみにその枠(日テレ、土曜9時)の今クールは「泣くな、はらちゃん」というドラマを放映中。正直全然面白くない。でもなぜか、Yahooのトップニュースで紹介されてた。すごく評判がいい。泣きたいのはぼくの方だ。「悪夢ちゃん」の次だからって少しだけ期待したんだよ…。ぼくは多分この国から出て行ったほうがいいんでしょうね。だってアフリカでは皆「悪夢ちゃん」に熱狂って聞いてるし…。(情報筋)

「未来に希望はなくても、幸福だったらそれでいいじゃん」。と言われると、少し困る。それでお説教を始めたりしないし、呆れることなければ、別に心配もしない。ただ「へー」とか「ふーん」とか思うだけなんだけど、でもちょっとまってよ、「幸福じゃなくなったどうすんのさ?」。それこそ戦争が始まったら?強制収容所に放り込まれたら? と思う。

「幸せ」とか「幸福」が持ち上げられるようになってずいぶんと経つ気がします。幸せになることが人生の目的とか。藤原紀香なんて毎日「私は絶対幸せになる!」って般若の如き形相で唱えてるんだって(幸せじゃないのかよ)。

そういえば、「幸せになる」っていう言葉ももうあんまり聞かなくて、若い世代からも含めてよく耳に入ってくるのは、「幸せだ」という表現、かも。「幸せになる」という表現だって、未来に希望を持てているからこそ出てくるわけだし、そうすると、「幸せだ」という表現は、より一層「希望とか〜、ちょっとわかんないんですけど〜、まぁ今は〜、それなり〜」みたいな感じなのかな、と。
ぶっちゃけ、古市くんもそうなこと言ってたらしい。人は未来に希望を持てなくなったとき、現状を(多分あんまりいい意味じゃなく)肯定するしかなくなる、みたいな。そうとばかりは思わないんですけど。

話は全然変わって、片山先生の「過敏体質論」が最近めっぽうキてます。もう大げさに言えば、今の人類にとって一番必要なのは過敏体質論だ!ぐらいなものですよ。でも難しいのは、過敏的楽さ(嫌なことはできない、無理できない、好きなことは自然にできる、焦れない、先のこと全然考えられない、自分が頑張ってもどうしようもないけど周りが動いてどうにかなるetc)がある程度体感されないと、自分が過敏体質だって受け入れられないことだな、と。

ここしばらくほんと何もしてないんですけど、以前に比べてある種の楽さ、気楽さは随分と出てきました。焦んないし(焦れないし)。それはひとえに、自分がどういう状態でいるのが本当に楽なのか、好ましいのか、また周囲も楽にできるのか、そういった事を探り続けてきたという事かもしれません。それは意図して何かをしてきたという事じゃなく、無意識に「これはキモチワルイなー」という状態を逃れ、なるべく楽でいようと心がけてきたという事でしょうな。いつの間にかと言えばいつの間にか。ま、主に炊飯ですけどね。その分いろいろ不健康になってるんですけどね。

まぁとにかく、そうこうしている内に自分が過敏体質であるとういうことに「あぁ…」とよりいっそうの合点がいき、頑張ったり努力するといいことないなー、とつくづく身にしみてます。これもまぁ相当風当たり強そうですけど。努力イクナイ、とか自分で積極的に動いちゃダメよ、とか。

とは言え、僕にだって何らかの執着心はあるわけで、内側からの欲求に従って何かを追い求めたりもするわけです。なるべく無理はしないように、ですね。だから「自分の思うように」は進めないけど、「自分に適うように」進めることはできるはずですよね。というか、「自分に適うように」というのが過敏体質に最も見合った生き方なわけで。
イチローみたいに「ひとつひとつ積み重ねる」とか「自分を造る」とかすっごい合わないんです、僕ら。修行とか鍛錬とかも。
誤解を招く表現ではあるけれど、片山先生も「自分本来の」というの言い方をしてますね。

細野(晴臣)さんですが、あれが過敏体質のあり方をもっとも突き詰めた姿ですよね。いるだけで周りがぼわーっと弛む。力まない。
若いころの映像を見るとわかりますが、細野さんの若い頃ってもっと苦しそう。年をとるごとにどんどんテキトーになってきて…。自分の心に素直に生きてきたんでしょうね、やっぱり。

そして、「何かを成し遂げる」ということが本来苦手なはずの過敏体質・細野さんが、もっとも優れた仕事(少なくとも僕にとっては)を残してきたということが何よりの希望です。あー、あとフェデラーもジダンも過敏体質だと思うのよ、絶対。
本当に力まない人は元々は肩の力が入りやすい人だし、もっともよく何かを成し遂げた人は達成することを苦手とする人であるという、これは大切な真理だと思うますよ、ほんとに。
だから僕も自分の心に従ってやっていこうと思います。自分の力だけじゃなく、過敏体質らしく周囲と共鳴しながら、です。

そんなわけで、過敏体質らしく「離れていてもつながってる」を体現してくれている、いつも悪いときにシレーっときっかけを与えてくれる人たちに関しては、感謝してるという言葉なんかじゃ全然足りないですね、はい。ハネムーンは火星でいいでしょうか…。

最初の話なんてどこへやら。






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