Farmgirl
自分が大切にしたいことを、一言にして表してみようと考えたときに、これはなかなか難しかった。 頭が働いてくれるのも大事だし、身体が楽になってくれるのも大事だ。 とにかく、ひと言ではまとまりそうになかったのです。 しかし、はたと思いついた表現が、「自由であること」でした。 これならば、広範囲の状態に渡って感覚的に接合が可能だと思いました。 具体的には何も書かないので、なんのことやらまったく判らないと思いますが、僕の中では一本のフラッグが立ったような気がするのです。 「自由であること」。それには通俗的に、それの裏っ返しとして「責任」が伴うなんて言います。そしてそれは、往々にしてネガティブな事として語られるのです。「責任を背負わなくちゃいけない」なんて。「社会的責任は重い」なんて。 だけど、僕は思うのだけど、「自由であることによって責任を立ち上げることができる」のだと思うのです。責任が無かったらなにも始めることはできない。自分で立つこともできない。 責任を持つということは実にポジティブな事なのだ、と僕は思います。 責任がなかったら、自分の人生を楽しむことなんてできやしない、と思う。 自由であれば責任を持つことができる。自由の代わりに責任を負う、というトレードオフではないのです。そういう自由は、僕の考える自由とは違う。僕の考える自由は、もっと自発的で内発的なものです。ある日、使いきれないほどの金銭を与えられて、自由に使ってください、という自由とは違う。 それから、いわゆる「自由人」の自由とも全然違う。 どんな人でも、どんな境遇でも、自由になることはできる。なんだか、怪しい精神論を語っているようにも見えますが…。 自由ということは、おそろしく誤解を招くのですが、僕は最大限にそれを尊重したいと思っています。