パーマカルチャー

自己実現とは、今の自分が思っている目標を設定するわけですね。つまり、今の自分が見える範囲で目標を設定し、それに向かって意味づけをするわけですが、今の自分に見えている目標なんて貧弱なもんじゃないですか。
実際には、何かやっている間に目標なんて変わっていくわけですよ。だれかに会って、「ああ、こういう生き方もあったのか」とか「こういうことが大事なんだ」と、自分が当初、視野に入れていなかった新たな目標ができてくるんです。絶えず立て換えていく。目標って、そういうもんだと思う。いいかえると、あまり目標を先に立てて、「これだけだ」と思うのは、逆に自分を縮めこめてしまうんです。

以上、鷲田清一『哲学クリニック』pp32-32。
なんや同じこと言ってるや、と思ってウキウキして読んでました。何回か似たようなこと書いてますからねー。「今の自分に見えている目標なんて貧弱」という所が素敵ですよね(ですよね?)。こういうのを臨床哲学だって言うんだったら、僕だって哲学できそうです。なんや毒にも薬にもならない(観念的)哲学ばっかりが学術的価値を帯びがちですが(多分ね)、こういう地べたを這うような哲学があるかと思うと少しホッとします。あるいは人によっては、「そういうのは人生哲学っていうんだよ」と仰せるかもしれませが、それはそれでなにか違和感が残りつつ。

なにはともかく、いい意味でのプラグマティズムの復権って大事なんじゃないだろうかと思う次第です。学校では「マジな話」、大事なことって全然教えてくれません。まぁ、勝手に学べよってことになるわけですが。

コメント

  1.  「今立てている目標の貧弱性」にゃるほど。ってことは、今立てている目標以上のことが、未来に設定しうる可能性をいつでも、いつまでも持ちつづけられるってことやね。うんうん。素敵じゃ。

     自分で制限をしない限り、目標はいくらでも修正可能ってこってすな。反対に「こう」とだけ決めてしまうと、動きようがなくなってしまってなんだか不自由。

     よしこれだと思って設定した目標に対して「これでええか」「ほんとにええかなどうかな」の自己検討がなされることで可能性はさらに広がっていくってぇやつやね。う~ん。しゅばらし~。

     今年の花粉にすっかりやられて咳がとまらないちえぞうです。ゴホゴホ。Baba Riさんは花粉にやられてまへんか。
    達者でいておくれやす。
    ではでは。

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  2. ま、簡単に言えば、「未来があんたの見通し通りに成り行くと思ったら大間違いだよ」っていうことですよね。まぁ逆に、未来がその程度だったら困るというか。行き先の風景がもう見えてるんだったら、行ったって全然面白くないじゃないですか。とか、格好つけたことを言いつつ。

    僕は、あいにく(?)花粉症ではありません。花粉症というのは、身体のバランスの問題なので、花粉じゃなくても反応するそうです。だから杉減らしたって意味ないって。

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