神に会いに(悪魔め、そこどけ)

苦難というものがどういう形を伴っているのかはわからないけれど、少なくとも「苦しみ」そのものを苦難と呼ぶにはふさわしくはなくて、「運動」が滞ってしまったときに、あるいは流れが止まってしまったときに、そこに悲しみのようなものが生じてきて少しずつ存在をむしばむことになるのだろうし、つまり、動けていればそれ自体が善きことであるし、そこから何かを起こせる、と思っています。

自分の力を活かさないことが最大の不幸だと考える人間にとっては、苦境はむしろそれ自体では不幸とはならずに、それに対する自分の立ち方が大きなウエイトを占めるわけで、そういうことは何度もの繰り返しになってしまうけれど、とにかく自分の「世界の捉え」さえしっかりしていればどこかに希望を見いだすことができる、と思っています。

「心のみ実在する」という野口先生の言葉を信じる人間にとっては、先を見る「想い」さえ湧いているのなら(物資的にどういう状況下であろうとも)生きていける、と思っています。

と、以上のようなことを、他でもない自分に言い聞かすのでした。「想い」さえ活きていてくれるのなら。動け。

竹内さん、どう思いますか?
―はい、それまーでよ(一同笑)

コメント



  1. 窮すれば通じ 進めば 道 自づから開かる
    信じて為せるもの その信ずる如く成るべし

    信ずる如く成るべしと信じて為すは 信ずることより 成ることを信じてゐる也
    されど信ずるだけが在る也 信ずることのみ信ずべし
    信を証せんとするな 証によりて信ずる者 信無し

    人は常にその信じたる如く在る也

    念ずれば現ず
    思へば在る

    心の内外一つ也
    この世に於ける唯一の存在は心也
    消え失せるもの 本来在るに非ず

    俺は自由だ
    この空間に力イッパイ描くのだ
    何を描かうと 何の色をぬらうと 妨げる何ものも無い

    妨げるものありと思ふのは 心が唯一の存在なるを知らないからだ
    この世に物あり 財あり 規則あり と考へてゐるからだ

    人の造りしものすべて架空也
    本来在るものの他 存在すること無し

    叩けば開かる
    進めば拓かる

    叩かざるは信無き人也
    退くは生命を殺すの人也

    力を使へ 費やす程 増す也
    費やさざれば失くなる也

    先づ描きし如く行動せよ
    その如くならん

    愛すれば 愛らしき人世が
    憎めば 憎むべき人世が
    豊かなる人には豊かな人世が
    貧しければ貧しき人世が

    心の豊か也 心の貧しき也
    心の愛也 憎也
    心のみ実在する也

    現はれしもの 心の描きしもの也
    会へば離れ 得れば失ふ也
    心に在るもの いつも在る也
    心に失はざれば 失ふこと無し

    ・・・ふむふむ。Baba Riさんの投稿を読み、野口のおっさんの文章をちと抜粋。ちと強引そだけど、そこが魅力的なおっさんやね。

     ところで、私事なのですが、ただいま超難題の宿題にチャレンジ中。なにやら5回熟読することが必要とやらの代物で、さすがのちえぞうも頭がこんがらがっとります。しかしながら、そのこんがらがりも大事なこんがらがりなので、しっかりこんがらがってみようと思っています。

     流れの止まったときに生じてくる哀しみにも、哀しいやな~という豊かな心の動きは、そこにあるのではないかと、そんな風にも感じましたが、どでしょう。

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  2.  ところがその夏、道場に来て親しくなったギルトナー夫妻が招待して下さった。着て行くものがないので、白い袖なしのブラウスの胸に、金のビーズ糸を好きな形に置いて縫いつけると、一寸、洒落たパーティー風になった。頭も使いようだと、私は得意になって書斎に行った。
    「これ、およばれに着てゆくの、いいでしょ?」
    すると先生は何で着飾るのかというような顔をした。
    「ああ、いいね、そう言わなきゃ、何べんでも訊くだろ」

    それにしても、ちえぞうさんにそんな難題を出しているのはいったいどこの誰なんでしょうね、まったく。プンプン。

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