再燃するまつぼっくい
”ウツ”についての話ですが。これはしばらく前に考えていたことであります。
”ウツ”は一般的には感情・気分系統の問題として取り扱われることが多いと思います。理由もなく気分が塞ぎこんでしまうのが”ウツ”なのだという風に。それで、どう解決されるのかというと、「気分が晴れる」のが”ウツ”からの快復と見做される訳ですね。いや、昨今の精神医療領域でどういう解釈がなされているのかということは全然知らないですけれど、一般に流通する「感覚」としての話です。
僕は、これは随分乱暴なというか、お門違いな捉え方だと思っています。”ウツ”は、感情や気分に属するというよりも、知覚や感覚に属すると考えた方が、正解かどうかは知りませんが、適切な対処がしやすいと思います。
簡単に言ってしまえば、前者はフレームを上下移動する働きであって、後者はフレーム自体が変質する働きです。僕は、”ウツ”は感覚フレームの濁りとして捉えるのが臨床的に有益であるし、「正しいに近い」と思っています。だから、「気分が晴れる」なんて全然”ウツ”からの快復じゃないと、言いたいのです。
あまり多くのことは判りません。今言えるのは、”ウツ”からの快復は静かに、静かに、あるいは歓喜などとは程遠い場所で果たされるということです。
また、何か思いついたら書くかもしれませぬ。
”ウツ”は一般的には感情・気分系統の問題として取り扱われることが多いと思います。理由もなく気分が塞ぎこんでしまうのが”ウツ”なのだという風に。それで、どう解決されるのかというと、「気分が晴れる」のが”ウツ”からの快復と見做される訳ですね。いや、昨今の精神医療領域でどういう解釈がなされているのかということは全然知らないですけれど、一般に流通する「感覚」としての話です。
僕は、これは随分乱暴なというか、お門違いな捉え方だと思っています。”ウツ”は、感情や気分に属するというよりも、知覚や感覚に属すると考えた方が、正解かどうかは知りませんが、適切な対処がしやすいと思います。
簡単に言ってしまえば、前者はフレームを上下移動する働きであって、後者はフレーム自体が変質する働きです。僕は、”ウツ”は感覚フレームの濁りとして捉えるのが臨床的に有益であるし、「正しいに近い」と思っています。だから、「気分が晴れる」なんて全然”ウツ”からの快復じゃないと、言いたいのです。
あまり多くのことは判りません。今言えるのは、”ウツ”からの快復は静かに、静かに、あるいは歓喜などとは程遠い場所で果たされるということです。
また、何か思いついたら書くかもしれませぬ。
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