大阪万能ネギ 再掲

”状態を割る”ということです。身体を割ることの大切さは甲野善紀先生が説いているし、感情を割ることの大切さは田口ランディさんが言っていますが、ぼくは”状態を割る”ということも大事なんではないかと、思っていまして。
どういうことかというと、体調が優れない、気分が悪いときって、だいたい漠然と「悪い」わけです。それがもうちょい細かく、胸椎の何番が硬くなってて、だからこういう具合に悪くなってるんだなとか、あのことが心配でそれが負担になってるんだなとか、自分の状態を細かく割って把握することが大事なんではないか、という話です。「悪い」のだって、色々な悪さがあるわけです。それらの差異を認識することの重要性。
そういう風に、「悪い」が違いをもって立ち現れてくると、悪いときの処方のバリエーションが増え、適切になりやしないかと思うのです。どこがどう悪いのか。なぜ悪いのか。どうすれば良くなるか。こういう知恵を個人で持ってると、割と生きやすいのではなかろうか。もちろん、人間は総体として動きますから、どこを治しても、全体的に効いちゃう。漠然と「良く」なる。そういうことはありますが、ポイントを押さえておいた方が確実性が高いと思われます。
本当は、日常生活の中で自然と「悪い」が流れていって平常に復すというのが理想なのでしょうが、今のご時世なにかとケアだって必要なんです。

”状態を割る”それは自分の声をつぶさに聴き分けるということです。

コメント

  1. 初投稿です。「状態を割る」なるほど!今の自分の状態に当てはめて考えてみました。「あ~なんかダルダルだな」という状態について、割っていくと・・・「あ~肩の辺りがばりばりしとるな」「そ~いや連日猛暑で汗まみれだったしな」「仕事盛りだくさんデイで、頑張ったな」「あ。今日は健診で、血抜かれて気絶寸前だったしな」などなど思い浮かんでくるくるって感じで、そんな風に割っているうちに状態が対象化されていって「ダルダル」は「ダルダル」でも嫌なダルダルでなくて、何とかなりそなダルダルになっていくように思いましたが、どでしょかに。
     Baba Riさんも、自分に当てはめてやってみることあるんですか~?なんて気持ちが思い浮かびました。
    ではでは。
     

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  2. コメント、嬉しいものですね。どうも。
    「何とかなりそな」ものにするために状態を精緻に把握しておく、というのが肝ですね。実際、判っていた方が対処がしやすい。気持ちの問題というよりは、処方が的を得るためという側面が大きいですが。
    でも、身体とかって僕らの意識より膨大ですから、計り知れないブラックボックスって必ず残ってしまうはずですよね。
    それを前提にするのが整体、だそうです。
    では。

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